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平成版/雄勝の伝承と民話

2015年1月13日 (火)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「霊験あらたかな三輪大明神とみかん」

みなさんこんにちはsun

           

今日の湯沢雄勝地域は、雪も降らず天気が落ち着いています。

自動車やトラックでの山間部の峠越えの際は、

ブラックアイスバーンなどになっている場合などがあるため、

運転には充分に気をつけて通行してもらえれば幸いですbus

         

さて、今回は、シリーズ第11回目!

「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」

国指定重要文化財建築物に指定されている

「三輪須賀神社社殿」に、残されたお話ですconfident

Dsc03796

今から四百年以上も前のころ、越後の国、

上杉家の重臣(身分の高いおもだった家来)景継が、

君の仰せによって山北(雄勝・平鹿・仙北一円)にこられた時の話、

三輪明神の前を何気なく馬で通ろうとした。

すると馬は、社前にいたるや立ち止まり鼻を打ち鳴らし、

馬体に汗をビッショリとかき、鞭(むち)を打てども一歩も進もうとしなかった。

               

そこで不思議に思った景継は、

そもそもこの神様は、なんという神様だと聞き出すと、

別当の吉定院が出てきて

「これなる神は、霊験あらたかな三輪明神である」と答えた。

Dsc03808

景継は、これを聞いて驚き、馬から飛び降り土に膝付き、

かしこみ奉り、それより三輪明神に七日間とどまり、

御神楽を奉納して武運を祈願し、やがて越後に帰られた。

            

そらからというものは、いずれの戦いにも勝利を続け、

また幸い事が多いので、

これはみんな三輪明神の霊験の賜であると敬い、

越後の館に杉を植えて、社を建て、

ここに三輪明神を移して崇め奉ったと言われている。

Dsc03815

その後、ある年の12月16日の宵祭りの際、神前前にお供えした

さまざまなお供え物のうち、蜜柑(みかん)が翌朝に、

残り一つもなくなっていた・・・。

不思議な事もあろうと思いつつ、そらからしばらく過ぎた頃、

杉宮の吉定院より越後に使いの者が訪れた。

Dsc04092

「去る、16日夜。景継殿より三輪明神に「みかん」が

沢山届けられた夢を見たので、

別当吉定院が、朝早く雪を踏み分けて神殿に行ってみると、

山北地方には珍しい「みかん」が、

沢山神殿に供えられてあった」

Dsc03809

その知らせを聞いた景継は大いに驚き、

越後から杉宮まで往復二十日もかかる遠い道を、

たった一夜のうちに、

杉宮の三輪明神まで「みかん」を届けるとは、

まさに神の仕業しかできない芸当だと、

いよいよ三輪明神の霊験を、かしこみ奉り、

また守護代”上杉謙信”も、この話を聞いて、

大いに敬い信仰のあまり

出羽国田河郡の所を社領として三輪明神に寄進されたと

言い伝えられている。

Dsc03797

昔から武人の信仰が特に厚く、

”源頼義・義家”

”直江山城主”

”小野寺遠江守”

佐竹公などから神領を賜り、

また沢山の宝物が寄進されたと言われている。

Dsc03795

この三輪明神は、昭和29年3月20日。

国の重要文化財に指定された由緒正しき神社である。

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とっぴんクルクル少し昔のぷ~smile

            

(高印rvcar

2015年1月 7日 (水)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「お沢稲荷のきつね」

みなさんこんにちはfuji

               

新年を迎え、皆さんは、何処かお参りなどいったでしょうか?

一年の計は元旦にあり!と言われ、

全国津々浦々、さまざまな縁起を担ぐ場所や風習があると思いますが、

是非、あらためて良い一年になることを願っています。

         

さて、今回は、シリーズ第10回目!

「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」

湯沢市中心部、湯沢市役所向かいにある

「お沢稲荷神社」に、残されたお話ですconfident

Dsc03770

湯沢の城跡に、お沢稲荷と泉光院稲荷が祀られている。

そのお沢稲荷は、佐竹義種公が湯沢に来る際、

水戸から移したもので、

泉光院稲荷は、その分家だといわれている。

               

その昔、お沢稲荷の社は東向きで、

前森にある湯の原稲荷と相対し、

佐竹南家では鬼門と病門の守りにしていたという。

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南家の何代目かの殿様が、

白鳥を飼っていたことがある。

Dsc03774

ある日、一家老から、その白鳥が殺されている旨を訴え出た。

            

調べてみると、何物にか食い殺された模様で、

しかもそれが、きつね(狐)の仕業らしい。

          

これを聞いた殿様は大いに怒って

いやしくも当家の守護神とあがめ奉る稲荷は、

自分の同類(きつね)が、

当家で飼っている白鳥を食い殺すのを、見て見ぬふりをしているとは、

承知相ならぬと、殿様は

「礼服着用におよんで・・・」

わざわざ社に出かけ、この旨を訴えて引き下がった・・・。

Dsc03776

ところが翌朝になってみると、

庭先に一匹のきつねが死んでいた。

Dsc03777         

つまり、いたずらした同類の物を、

お沢稲荷が処罰して殿様に謝罪したという。

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この霊験あらたかな稲荷様の噂は、

たちどころに広まったため、お参りする信心の人が、

日増し多くなったが、

お沢稲荷の社は、南家の邸内にあるため、

町人が入ることができなかった・・・。

Dsc03781

折角、お参りに来ても遠くから礼拝するのは本意ではなかろうと、

当時お屋敷のすぐ近くにあった、広大寺の末寺だった泉光院に、

お沢稲荷の拝殿を設け、一般町民の便宜を図ったもので、

その後、泉光院は廃れたため、その名をとって

「泉光院稲荷大明神」

と名付けて分家したものだと伝えられている。

Dsc03783

またお沢稲荷は、その後、佐竹家から根小屋町でもらい受け、

泉光院稲荷と同時に、毎年、7月11日に、盛大なお祭りを行っている。

※写真の木札の日付は、7月9日で揃っています。

Dsc03786

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とっぴんクルクル少し昔のぷ~smile

             

新年の参拝を始め、願いを叶えるために、

大小問わず、神社に参拝する機会があると思いますが、

神様のご利益については、諸説あるのはもちろん、

実は、さまざまなご利益がある場合があります。

全国にある地元の何気ない神社でも、

そこに祀られている神様を調べてみると、

思っていた以上に、色々な願いが叶ってしまう?

お願いしても良いかもしれませんsmile

Dsc03794_3 

今回の取材日には、自動車の距離メーターが、

「88888」の5揃いを跨ぐことになり、

(高印rvcar)的には、安全運転。縁起が良い予感(笑)

Dsc03792_2

(写真は、勤勉!二宮金次郎像ですcamera

               

お稲荷さんと親しまれている稲荷神社は、

調べてみると、分祀の数の多さは、日本一だそうです。

実は、農業から商工業まで、開運招福。家内安全。

の神様として信仰されているマルチプレイヤーdelicious

            

是非、お近くにありましたら参拝するのも良いかもしれません。

         

(高印rvcar

2014年12月 9日 (火)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「弁財天と金百両」

みなさんこんにちはsnow

             

12月に入り、全国的に不意の積雪と共に寒くなってきましたが、

湯沢雄勝地域も例年通りの少し多い積雪となっています。

山間部などでは、今年一回目の雪下ろしをした地域もあるので、

雪下ろしの事故など充分気をつけて下されば幸いです。

         

さて今回は、2014年ラストの金運!幸福!

2015年の金運!幸福!を呼び込みたい人のお願い場所を

紹介したいと思います&由緒ある神様に会える場所です!flairDsc02444

では早速、縁起良い場所の紹介は、シリーズ第9回目!

「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」

それなりに仕事をしたり努力している人には、

それなりの財宝を呼び込むことができると言われる

「弁財天と金百両」のお話ですconfident

Dsc02465

この駐車場までのマップ←クリックmotorsports

場所は、湯沢駅から市役所方面へ、徒歩7分の湯沢市中心部。

その昔、昭和30年代前半、この上の写真の場所に

大きく立派な建物、弁財天神社が建っていたそうです。

            

その建物は、地面から数段高い位置に建てられていたそうで、

長い間、財宝や幸福を呼び込む神様として鎮座されていましたconfident

Dsc02445

(上の写真は浄土寺入り口ですcamera

お話の始まりは、湯沢市表町の浄土寺境内のまつられてある

弁財天様に信心すればお金を授かると言われている。

Dsc02446

(浄土寺境内にある六地蔵ですcamera

               

浄土寺を再興した儀山上人が文禄二年、修行のため

東都に上ろうと金百両の費用を工面して湯沢市を出立し、

下野国宇都宮町のあるはたご(旅館)に泊まったところ、

賊(強盗)が押し入り、所持金を全部盗み取られた・・・。

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(駐車場の側に、二つの神社がありますcamera

                  

お金を払わず、旅館を出る訳にも行かず、困っていたところ、

◇江の島の薬売り業者

「宇賀屋財次郎」という人が現れ、いたく同情し、

私は湯沢の松井権太夫さんを宿にして、

「毎年、薬を売りに行くから、その時に返してくれれば良い」

と言って、金百両を貸してくれた。

               

※時代背景、諸説ありますが、

金百両は、現在の金銭価値で1000万円くらいとも

言われていおり、

江戸時代の人気歌舞伎役者「千両役者」の言葉は、

現在の一流プロスポーツ選手、

「一億円プレーヤー」と同じような言葉の意味を

もっていたとも言われています。

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(今年最後の心の言葉を近日頂戴しにいきますcamera

             

儀山上人はおかげで修行が終わり、無事帰国(湯沢)して、

旅の装いも解かず、松井権太夫さん方を訪ねてみると、

そんな薬屋さんは、私の家には泊まったことは無いという話で、

”日頃信心する弁財天のご加護の賜と感銘し、

境内に社を建て弁財天を祀ったと言い伝えられている”

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とっぴんクルクル少し昔のぷ~smile

            

今回、この伝承の確認の為、浄土寺の大先輩にお話を伺ったところ、

最初に登場した駐車場にあった昔の弁財天神社は、

建物が大変大きく立派だったそうで、参拝者も沢山居たそうです。

もう一つ、30メートルくらいの”もみの木”もあったそうです。

Dsc02459_2

(もう一つは、稲荷神社ですcamera)      

この弁財天神社は、日本三大弁財天・江島神社

☆[公式] 江島神社 日本三大弁財天←情報をクリックsearch

と、深い関わりがあるそうで大切にされていましたが、

色々な諸事情により、昭和30年代に取り壊されました(涙)

Dsc02454_2

その為、この場所に、新たに神社を二つ建て直し祀りました。

               

お話を伺った浄土寺の大先輩からの一言としてはconfident

「そりゃ~ただ拝みに来たって、財(財産)は増えねっすべな!!

それなりに日々働いて、それなりに努力して、

その心で拝みに来てくれれば、それなりに財は、

自然に増えると思いますよ・・・それがこのお話なんしな!!」

※後は、幸福・財宝を招く他、芸道上達の功徳を持つ神

「その昔から歌や楽器が上達するとも言われるから

そんたなことでもお願いしてもいがべおん!うめぐなるど(笑)」

            

この時に(高印rvcar)が思ったのは、お金の増やし方の他に、

音楽のまち”湯沢”と言われるくらいだから、

吹奏楽部や合唱部、ダンスをする人などがお願いに来たら?

などと思いながら、お話に耳を傾けていました。

その他、少し調べたところ、神社では、御神体を「御霊(みたま)」

と呼び、その御霊を分けることを「分霊(ぶんれい)」

それを別の神社に移して祀ることを「分祀(ぶんし)」といい、

何処にいても同じご神徳、ご利益、参拝ができるそうですdelicious

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追記~今回、取材した時pencil

十数年前は、この場所でお祭りもしていたのですが、

商店街や子供達が減ったこともあり、

近年、開催できないのが悔やまれるとのお話を聞き、

少し寂しい気持ちになりました。

しっかりとした御利益はあるので、お祭り復活!

是非、皆さん、参拝してくださいとのことでした!!!

         

もちろん(高印rvcar)もしっかりお願いしてきました~(笑)

            

      

2014年11月28日 (金)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「経塚の古タヌキ」と日蓮上人の石像

みなさんこんにちはsun

            

ニュースの天気予報では、来週、雪マークが点灯している

湯沢雄勝地域ですが、今日は良いお天気となっていますsun

Dsc03551

さて今回は、「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」pen

第8回目のお話は、春から幾度か探して歩き、

等々見つけることができなかった・・・二百貫

”750キロ”以上ある巨体の石像!!!

「経塚の古たぬき(狸)」と日蓮上人の石像

のお話ですconfident

Dsc01012_2

(2014年4月/翔北高校前の桜camera

湯沢市の神明社の東方・・・湯沢北高等学校(現・翔北)の裏手に

経塚と称する小高い丘がある。

昔は「たぬき森」と呼ばれ、

日中でも薄暗いところだったという・・・。

Dsc03553

その丘に、一匹の古たぬきが住んでいて、

あやしげなことをして人々を悩ますので、

退治しようとするが、神通自在で、なかなか容易な技では、

退治することが出来なかったらしい・・・。

               

そこで日善寺何代かの名僧が、経文を石に刻んで、

その丘に埋め、古たぬき退散の祈祷を行い、

ついにこれを降伏せしめた。と伝えられている。

Dsc01015

(2014年4月/春の神明社camera

その後、ここにお堂を建てて「日蓮上人と七面天女」という

石像を安置して祭っているが、 ※発見できませんでした。

この二百貫以上もある日蓮上人の石像は、

湯沢城主佐竹南家でかかえていた豪力士”三左衛門”が、

一人でこの丘まで背負い上げたいう、いわくつきの石像で、

石灯籠に正徳年間の文字が刻まれているところから推して、

250年以上も前の話である・・・。

            

またこの経塚は、昔、佐竹南家の矢場として

用いられたとも言われている・・・!

Scn_0012_2

”雄勝の伝説と民話に掲載されている小さい写真camera

日蓮上人の石像を(高印rvcar)が筆ペンで模写しましたpencil

絵心があまりなく本当にすみません&自分で書いて笑えます(笑)

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ここからが(高印rvcar)の取材記録なのですが、

このたぬき森と言われる近辺の建設会社や写真屋さん。

神明社の方。その他、春から幾度か聞き込みをしたのですが、

この巨体!日蓮上人の石像を発見することができませんでした・・・。

          

図書館に置いてある「雄勝の伝説と民話」には、

小さく、日蓮上人の石像の写真が掲載されているのですが、

この写真は、昭和30年代撮影と思われ、

この当時には確実に安置してあったことが伺えます。

あるいは、今回(高印rvcar)が発見できなかっただけで、

湯沢市内の方には、

安置してある場所を知っている方も居るかも知れませんflag

            

是非、知っている方の情報お待ちしておりますsearch

(高印rvcar

2014年11月13日 (木)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「元禄年間の白髯(しらひげ)の大水」他”北向き観音像”

みなさんこんにちはmaple

             

今日の湯沢雄勝地域の天気は、手肌に感じる気温がグッと下がり雨模様ですrain

遠くに見える鳥海山の頂上付近は白い雪化粧となり、

いよいよ雪が降るか?降らないか?

晩秋と初雪の季節の変わり目まで、残り数日となっているようですsnow

Dsc03486_2

そして今日は、久しぶりのブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話!!!

このシリーズのお話は、昭和37年当時に出版された

「雄勝の伝説と民話」から、当時の様子と言い伝えを参考に、

取材ができる地元の方や場所を辿り、

ブログ的文章に(高印rvcar)が書き起こしていますが、

訪ねる人や場所により、

少し内容が変化?伝わりが変わる場合が時々ありますsearch

               

「雄勝の伝説と民話」に書かれているbook

            

「もとより伝承であり民話であるから、いつごろ、何人がつくったものか、

まだどの程度真実性があるものか、そのへんはつまびらかありません」

※つまびらか[意味/くわしいさま。物事の細かいところまではっきりしている]

(この話の場合は、物事の細かいところまではっきりしていない)

                  

の精神、あるいは、時代の流れを受け取る気持ちで読んで頂けたら幸いですpen

            

では、早速!「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」

第7回目のお話は、”元禄年間の白髯(しらひげ)の大水”なのですが、

今回は情報が少ないため、一旦お話を掲載してから

もう一度情報収集をして、再度、お話に付け足したいと思いますconfident

         

大昔、秋の宮の寺沢橋の梺近く、浅荻村(現在は地区)と称する村落があったという。

Dsc03500

(小高い山から見える橋が国道108号線途中の寺沢橋ですcamera) 

                

元禄十四年の夏のこと、この村に祭ってあった「白髯大明神」が、

又右衛門という人に、近く大洪水がやって来るというお告げがあった。

またその後、白髯大明神の使いの狐(きつね)が、

コンコンと鳴いて、しきりに村落を回って騒ぎ立てるので、

いずれ何か大きな異変が起こる前触れに違いないと信じた人々は、

早くも山手に避難したが・・・。

             

”そんな事は迷信だと頭から打ち消して避難もせず居残った人もいたらしい”

            

ところが、それからいくばくもたたずして、大雨が降り続き、

”大洪水となり”               

上浅荻部落は激しい濁流にのまれ、

狐(きつね)のお告げを迷信と信じなかった人は、

家屋もろとも命まで失ってしまったと言われている・・・。 

Dsc03513

(撮影した寺沢橋の案内板が、偶然にも大洪水の後のようでビックリしましたcamera

                

そして、神のお告げを真に受けて早くも避難して助かった人々は、

その報恩のため一宇の堂を建てて

「三坂稲荷神社」※場所分かりませんでした(涙)

と称し、崇めのち世に、

この大洪水を「白髯の大水」と呼んだと言い伝えれれている・・・。

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とっぴんクルクル少し昔のぷ~smile

ここからは、全く違う話が続きますpen

               

今回、お話にも登場する大洪水や津波が来たら高い場所!

山手に避難!逃げるのが鉄則ですが、寺沢橋の付近にも小高い山があります。

実は、この場所は、春の綺麗な桜の眺望の他cherryblossom

「キリシタン殉教の碑」と「北向き観音」が建てられていますfoot

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その昔は、役内川や雄物川の河川の氾濫は尋常じゃなかったようで、

もしかしたらこの小高い山にも避難したのかも知れません。

現在でも、河川工事や維持に、それなりの労力が必要となります・・・。

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(キリシタン殉教の碑・北向き観音の入り口案内がありますcamera

この場所までのマップ←クリックflag

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この場所に入っていくと北向き観音の鳥居がありました。

秋の落ち葉で森が見渡せ小動物が隠れてそうです(笑)

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ゆっくり歩いて登って行きます。

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キリシタン殉教の碑がありましたflag

詳しい事は、湯沢市ジオパーク推進協議会 奮戦記

北向き観音とキリシタン慰霊之碑”←クリックsearch

が、参考になると思います。その他、

ゆざわジオパークの散策コースにも入っていますshoe

モデル B 一日コース その1”←クリックsearch

Dsc03501

小高い山の頂上に北向き観音像が安置してありましたconfident

Dsc03504

仕事や私用で、お寺や神社に行くことの多い(高印rvcar)ですが、

このような和洋折衷?の祠と像は組み合わせは初めてです。

教科書で習ったキリシタンへの弾圧のお話を思い出します・・・pencil

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祠の中に安置されているマリア観音像は小さな子供を抱いています。

意味する本当の意味や信仰は詳しくない(高印rvcar)ですが、

日本の長い歴史の中で、助け救われた人々に、

大切にされてきたことが容易に分かる堂々としたマリア観音象ですshine

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このような珍しい石碑も森の中に安置されていました。

訪れた人々に、穏やかな日々とそれなりの幸があることを願っているようですsun

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(↑写真の道路沿いの桜が、眼下に眺めることができますcamera

今回は、場所が近かった為に、二部構成のお話にしましたpen

               

この寺沢橋近くの小高い山からは、

春には、国道108号線に咲く桜街道が綺麗に観る事ができますcherryblossom

是非、来年の春に訪れてみては如何ですか?

冬が来る前に、桜のビュースッポット情報で、今回のお話は終了で~すdelicious

            

ではでは(高印rvcar)でした~bicycle

2014年9月11日 (木)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「熊谷三郎兵衛の物語」

みなさんこんにちはsun

          

湯沢城主佐竹南家のぼだい寺「清涼寺」の入り口に触れれば、

ひどい寒気と、震えが起こるという不思議な墓があった。

                        

それは慶安(三百年前)の変、

由井正雪の陰謀に加わり、一方の統領であったという

「熊谷三郎兵衛」

の墓だといわれている。

               

※慶安の変(けいあんのへん)は、慶安4年(1651年)

4月から7月にかけて起こった事件。

別名、由比正雪の乱。由井正雪の乱。慶安事件。

とも呼ばれることがある。

            

主な首謀者は、由井正雪。丸橋忠弥。金井半兵衛。熊谷直義であった。

(由井正雪は優秀な軍学者。知りたい方は、検索をお願いします)

                   

その三郎兵衛がどうして湯沢に来たかはつまびらかではないが、

当時の同志が、切腹したり、捕らえられたりする中を、

危うく逃れ途中の詮議が厳しいので坊主に身をやつし、

流れ流れて湯沢に辿り点いた。

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(写真は、清涼寺、お地蔵さん横の階段camera

辿り点くと、清涼寺の裏手、花見沢の上に庵を構えて、

世を忍んで生活していた。現在もその辺を「上人沢」と呼んでいる。

Dsc02039 Dsc02047

こうしているうちに、佐竹南家の組下で槍の達人!

「斎藤強太夫」

と懇意となり、ある時、何かについて議論の末、強太夫は、

「坊主のくせにと激しく罵った」

                  

ところが、三郎兵衛が、

「同じ坊主でも、お前如きに負ける坊主ではない!」

と、大言を吐いたので、お互いに、

「さらば真剣勝負ということになる!!!」

Img_1888

※効果音 どんどんどんどん メラメラメラ・・・・・ドッシャ~ン!!!

◇真剣勝負は、力の差が歴然で一瞬であった!

八幡神社の境内にかがり火をたいて、

強太夫が槍を持って向かったが・・・・・・・impact

Img_1890 Img_1889

”たちまち槍を打ち落とされ、

かえって軽率な行いを戒められたという。”

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以来、三郎兵衛は、徒者ではないと知られ渡り、

段々と様子を聞くうちに、その本性がわかり、

「藩中の根本」という侍(サムライ)は、

三郎兵衛について、

「長刀(なぎなた)」

「火衛」?どのような技?武術?

「地雷」?どのような技?武術?

などを学んだと言っている・・・・・。

Dsc02042

三郎兵衛は死んだ後、清涼寺に葬られたが、

公儀をはばかって無名とし

その墓を守る手段として、おこりをわずらうと伝えたものらしい。

            

また一説には、湯沢の酒屋に住み込んだことがあるらしく

Dsc02044

ある時、馬上の侍を見て、

「あの侍は馬に乗せられて行く

(乗せられている)」と、あざけ笑ったので、

それではと無理に馬に乗せられた。

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ところが、

”手綱(たづな)さばきも見事な妙術を示して、

びっくりさせたという。”

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また、湯沢のある家で猛犬を飼っていた。

かねがね三郎兵衛の強力振りを聞き、

その通りがけに猛犬を向けてやった!

そして、               

「猛犬は勢い良く飛びかかって行った!!!」

                   

しかし、猛犬

三郎兵衛に近づくとともに、

コロリと倒れて死んでしまった。

Imgp0203_2

(熊谷三郎兵衛さん、可愛い犬には止めてね・・・・・w)

見向きもしないで、五、六間行き過ぎてから

三郎兵衛は何かを投げ捨てて行ったので、

         

「近寄って見ると、それは猛犬の舌であった・・・」

               

突差に猛犬の舌を抜いて殺した早技は、

目にもとまらなかった!!!

                

という話が残っている・・・・・・・・・・(終)

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

とっぴんまだまだ少し昔のぷ~smile

     

そして、この話は続きがあり、

実際に、清涼寺にいる笑顔の素敵な大先輩に

お話を聞きに行きました。

このお話は、清涼寺に伝わる有名なお話で、

「熊谷三郎兵衛は隠密であったそうです」

             

上の写真は、三郎兵衛の墓石を四面から撮影しましたが、

良く見るとお墓に名前が無く、

三郎兵衛の名前などを彫ると、

遠くに住む身内など多方面に迷惑がかかる為、

「無名の墓石となっています(涙)」

まるで、アメリカの諜報機関にある名前の無い墓石のようです。

               

その他、一部、湯沢雄勝地域では、

三郎兵衛は忍者だったと振れ伝わっているらしいのですが、

お話をお聞きしたところ?

「忍者では無く、隠密です!!!」

という力強いお言葉と確認を、

笑顔の素敵な大先輩から丁寧に頂きましたsearch

Dsc02041

その他「雄勝の伝説と民話」の本の中に、

もう一つ残る

「清涼寺の夫婦げんか」というお話があるのですが、

そのようなお話は、

清涼寺には伝承されていないそうです。

               

今回は(高印rvcar)も、名前の無い墓石に静かに手を合わせました・・・・・。

「名前の無い墓石からは欲のない強い力を感じることができました!」

             

では、もう一回!とっぴんまだまだ少し昔のぷ~smile

            

(高印rvcar

          

      

2014年9月 2日 (火)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「大せき(堰)と開削者②」

みなさんこんにちはsun

         

夜になると、すっかり秋風が吹く?心地良い湯沢雄勝地域ですが、

今年の残暑は、あまり長くならないようです。

是非、朝夕の気温の寒暖差で、季節外れの風邪などひかないように、

美味しい野菜や消化の良い温かい饂飩などを食べて、

体調を整えて下されば幸いです。

                   

さて前回、7月17日(木)ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話

「大せき(堰)と開削者①」の続き、「大せき(堰)と開削者 首をかけた請負」

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今回も、最初に「平成版/雄勝の伝承と民話」シリーズで参考にしている

”原本「雄勝の伝説と民話」”に書かれている

「もとより伝承であり民話であるから、いつごろ、何人がつくったものか、

またどの程度真実性があるものか、そのへんはつまびらかでありません」

のフレーズからスタートです!!!

Dsc02450

今回は、お世話になった浄土寺前から出発しました。

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この浄土寺は、弁財天様が祀られており、

「弁財天と金百両」と言う伝説が残っています。

そのお話は、また次の機会に宜しくです。

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この写真に写る大せき(堰)を開削したと言われているのが、

富谷氏の祖先、富谷次郎左衛門(治郎左エ門)

また、一説には、前森の宮田七右エ門の築造とも言われています。

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慶長18年、水戸から佐竹南家について来た、

その当時の土建業者だったらしい次郎左衛門は、

職業柄、雄物川の流れを用水に供すれば荒れ地の開墾に、

大きく役立つことを思い起こした。

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そして、佐竹の殿様に、大せき開削に必要な人夫を出してもらいたいと

願い出てみたが、用水ぜきの開削工事は、

容易な業では完成が難しいとあって願いは聞き入れられなかった。

しかし、次郎左衛門は期するところがあったとみえて、

再三願いにおよんだところ

「もしも、成就するにいたらなかった時は?」と聞かれ・・・

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(大せきの側で茶色い猫が寝ていましたcamera

「間髪を入れずして、この首を進上する」と答えたという。

さすがに、尋常一様の人ではなかったらしいと伝わっています。

[尋常一様/じんじょういちよう

意味:ごくあたりまえで、格別に他と変わらないさま。

普通と異なることのないさま。]

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それにより、やっと殿様から大せき開削工事の許しを得て起工し、

命がけでこの難事業を見事完成し、その手際の良さを

殿様からお褒めの言葉をちょうだいしたといわれている。

                              

この大せきを散策してみると、水の水量や流れがしっかりしています。

大せきは細い道で繋がっており、地元の方の生活道路、

近道や散歩している方も見受けられ、現役の用水路となっています。

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その昔からこの大せきは、湯沢の人々の暮らしの一部として

役に立っている訳ですが、秋田県湯沢市の厳しい冬に、

降雪した雪を捨てる場所としても大変重宝されていると思われます。

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今回(高印rvcar)は、長い距離を自転車で散策しましたが、

実は、この細い道をある程度走るのは初めてで、

家が並ぶ軒先を走るような感じで少しドキドキしました。

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上の写真の様に、見た目に大きな水門がありました。

落ち着いたブラウン色に塗り替えられてます。

湯沢市の裏道に普段見られない趣がある水門です。

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真っ直ぐと続く大せき横の道を散策します。

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散策していると、家の前に野菜の直売所がありました。

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美味しそうなカボチャが一個、堂々と置いてあります。

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大せき沿いには、畑があったり、花が咲いていたりしており、

何か新しい湯沢市を発見したような気分になります。

Dsc02522

この湯沢大堰には続きの話があって、一説によれば、

                   

工事の測量が思うようにはかどらない為に、

御囲地町に祭られてある稲荷大明神に成就の祈願をこめたところ、

ある夜のこと、夢枕に白髪の老人が現れお告げがあり、

翌朝工事現場に出てみると、夜明け頃降った新雪に、

点々ときつね(狐)の足跡が続いてるので、

早速、これを目印として測量を進め見事に成功したとの伝承や、

            

また一説には、夜工事現場に線香を立てて

高低の測量に役立てたものだとも言い伝えられている。

         

その他、御囲地町の稲荷神社は、

佐竹義種公が水戸からこの地に移したもので、

大せき開削の時、霊験があったのはこのお稲荷様だといわれている。

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とっぴんまだまだ少し昔のぷ~smile

          

湯沢市内を訪れた際には、

是非、地元の方が歩く、大せき(堰)を散策してみてください。

             

(高印rvcar)   

2014年8月20日 (水)

小川屋酒店 オリジナル純米吟醸酒「がっこうやま」

みなさんこんにちはcloud

             

湯沢雄勝地域の昔の様子を絡めて進行する

”ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話”

               

前回のブログ「大せき(堰)と開削者①」より、

夏のイベント情報・告知を挟んで、大分日付が過ぎましたが、

今回は、湯沢今昔の様子をちょっと寄り道をして、

ジークブルガー通り、影現寺の横にある

「(有)小川屋酒店」さんに置いてあるオリジナル日本酒にまつわるお話です。

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「(有)小川屋酒店」

住所 012-0826 秋田県湯沢市柳町2丁目3-24

小川屋酒店までのマップ←クリックmotorsports

TEL 0183-73-3213

小川屋酒店のホームページ←美味しいお酒の情報をクリックsearch

以前のブログ記事「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話←クリック

Dsc01856

この記事は、湯沢七夕絵どうろうまつり前まで書き上げる予定でしたが、

昭和37年当時に出版された「雄勝の伝説と民話」前の年、

昭和36年当時の出来事と情報が色々と繋がり、

面白い情報も沢山収穫できたことに感謝してから、ブログスタートです!!

                      

この小川屋酒店さん正面入り口では、毎年、年一回、

湯沢七夕絵どうろうまつり期間に、美味しいビアガーデンが開催されます。

賑やか会場より、少し隠れ家的な場所で、ジークブルガー通りで行われる

華やかな演出の踊りや、地元団体の演奏がゆっくり観る事ができます。

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明るい店内に置いているお酒や贈答品は、種類も豊富で、

ビール・焼酎・日本酒・ワイン・その他など、

湯沢市内のお酒が好きな方が、酔い(良い)お酒を探しに、

気軽に立ち寄る場所となっており、

格安で美味しい珍しいワインや地元に根付く酒蔵の新酒など、

量販店とは違った選ぶ楽しみがあります。

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何かの御祝いに喜ばれる、縁起の良い日本酒も用意してあります。

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湯沢地元のお酒も充実の品揃えです&海外のワインも充実しています。

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そして今回紹介する小川屋酒店オリジナル純米吟醸酒。

「がっこうやま」

             

この「がっこうやま」と言うお酒は、今年、新庁舎となった湯沢市役所前に

昔有った、小学校と裏山を懐かしむ思い出のお酒的商品で、

現在、50代以上の湯沢市内で幼少を過ごした方には心に響く言葉です。

                     

今回、湯沢市内の様子を(高印rvcar)が聞いて歩く中で、起点となる年があり、

それが、昭和36年8月31日旧湯沢市役所竣工。9月11日開庁。

「第16回・秋田国体開催」(通称:秋田まごころ国体)

秋田県に、昭和天皇・皇后両陛下が御親覧あそばされた時。

など、昭和36年辺りが秋田県内。

湯沢市内の時代の転換期だったと思われる話を先輩方から聞きました。

                         

お話を聞いた先輩方に、がっこうやまの様子、小学校の建物の様子。

その当時を振り返るお話では、小学校の建物は図書館を中心に、

どちらかが東小学校。反対が西小学校と繋がっており、

裏山が子供達の恰好の遊び場で、木イチゴを食べたり鬼ごっごしたり、

学校給食が始まったのもこの頃のような気がする?食べた?

あるいは、戦争の時代から代わり、

学校の先生から民主主義や自由を感じた授業や流行歌を歌ったり、

先輩方にとっては現在とはまた違う、豊かな青春時代だったようです。

            

オリジナル純米吟醸酒「がっこうやま」のラベルには、

昔の小学校の片隅、中心に鎮座していた

二宮金次郎の石像を可愛くしたイラストが描いてあります。

           

(高印rvcar)が小学校の時代にも、二宮金次郎の石像がグラウンドの隅にあり、

夏の夜になると、突然石像の目が光るや、真夜中にグラウンドを走っているなどの

小学生が思いつきそうな怪談話などがありましたが、

本当は、大変立派な人である事は、なんとなく子供達全体に伝わっていました。

                              

そのような思い出を振り返るお酒。旧友との再会。懐かしの学舎。

「がっこうやま」を呑んでみたい方は、若い方も大歓迎!

是非、ジークブルガー通りにある

「小川屋酒店」で、ご購入してくだされば幸いです。

            

※詳しく知りたい方は、是非、二宮金次郎を調べてみて下さい。

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(2014年/湯沢七夕絵どうろう会場:ジークブルガー通りで踊る若者camera

                      

ジークブルガー通りで趣向を凝らした踊りをする団体の後ろ姿です。

小雨が降る中、熱く躍動的に踊っていました。

               

秋田県のお祭り、イベントは、大曲の花火や角館のお祭りなど、

残暑の時期に、まだまだ沢山開催される予定です。

秋田県。大仙市・横手・角館などにお越しの際は、

是非、湯沢雄勝地域にも、何かを発見しに気軽に遊びに来て下さいbus

      

(高印rvcar

          

2014年7月17日 (木)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話 「大せき(堰)と開削者①」

みなさんこんにちはsun

                                 

今回は、湯沢市内をゆっくりと走る大堰(用水路)に、命を賭けた人のお話です!

             

そして最初に、このシリーズのお話は、昭和37年当時に出版されたpen

「雄勝の伝説と民話」から、当時の様子と言い伝えを参考に、

取材ができる地元の方や場所を辿り、

ブログ的文章に(高印rvcar)が書き起こしていますが、

訪ねる人や場所により、少し内容が変化?伝わりが変わる場合が時々あります。

                

「雄勝の伝説と民話」に書かれているpen

                  

「もとより伝承であり民話であるから、いつごろ、何人がつくつたものか、

またどの程度真実性があるものか、そのへんはつまびらかでありません」

※ [つまびらか:意味/くわしいさま。物事の細かいところまではっきりしている]

(この話の場合は、物事の細かいところまではっきりしていない)

                     

の精神、あるいは、時代の流れや受け取る気持ちで読んで頂けたら幸いですconfident

             

では、早速!

「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」

第5回目のお話は、(高印rvcar)的に、原文と現代の言葉を交ぜ伝えるブログpencil

「大せき(堰)と開削者 首をかけた請負①」の始まりです。

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(湯沢市内を流れる大堰の前に立ち、流れをのぞき込む(高印rvcarcamera

                      

湯沢市内を貫流する大せきは、慶長年間

湯沢市大町・富谷松之助氏の祖先

「次郎左衛門」という人によって開削されたといい伝えられている。

                 

大せきの取り入れ口は、関口地内の雄物川にあって、

湯沢、三関、弁天三地域にわたる用水路として、

延長約二里(一里約4㎞)

かんがい田地約千町歩におよび(千町歩/約1000ヘクタール)

わけても湯沢にとって防火上、最も大切な用水ぜきである。

                     

この大せきは、昔は須川(地名)、高松方面からの丸太や薪、

木の川出し(搬出)に利用されたもので、

古老の話しによると、

湯沢市平清水町新町の影源寺付近が丁度、

堰を止めて丸太類を水揚げした場所で、

ここで盛んに商取引きが行われたため、

飲み屋が発展し、それが今日に至ったものだと言われている。

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(影現寺・入り口の写真camera

                  

最初の目的地。影現寺の住職の方に、お話を伺い、取材する機会がありましたが、

昔の詳しい話を知っている方は、代替わりした為、今は居ないとのことでした。

しかし、影現寺の住職さんの優しく丁寧な返答は、幸先が良く大変助かりましたconfident

Dsc01859

次の目的地。道路を挟んで、影現寺向かいの

「(有)小川屋酒店」を訪ねました(小川屋さんのお話は次回ですbeer

住所 012-0826 秋田県湯沢市柳町2丁目3-24

小川屋酒店までのマップ←クリックmotorsports

TEL 0183-73-3213

小川屋酒店ホームページ←美味しいお酒の情報をクリックsearch

                        

この辺りを散策、観察していると、ある物を発見しました!!!

Dsc01860

影現寺と小川屋酒店の細い路地にある大堰の間に、

上の写真↑黄色い矢印↓

良く見かける、赤い部分をクルクルと回す、水門を止める装置が見えますupdown

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もしかしたら、この水門の場所が水の流れを止め

、丸太を水揚げした場所の名残かも?です(推測ですが・・・)

「ここ辺りが、飲み屋さん発祥の地?早速、小川屋酒店さんに取材だっす!!!」

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(湯沢市サンロード商店街から細い路地をドイツ通りに向かう様子ですcamera

                        

と!その前に、この細い路地の通りには、由緒ある三つのお寺があり、

人生の大先輩(推定80代くらい)浄土寺の住職さんの元を訪ねると、

昭和20年代当時の湯沢市内の様子、詳しいお話を聞く事が出来ましたconfident

                     

「本当に、まんつ宜しくお願いします。同時に、あの弁財天のお話も少々・・・」

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(小川屋酒店さん向かいのシューズショップ・トミザワさんcamera

                     

住職さんによると、現在、流れを見ることができる大堰の幅は狭いが、

昭和10~20年代には、もう少し大堰の幅が広く、水深があり、

人を乗せた船(いかだ?渡し船?)が通行していたそうです。

その他、湯沢周辺の田んぼに、綺麗な水を通す役目を果たしていたり、

夏には、子供の腰くらいの高さの水深で水遊びが出来たり、

スイカやきゅうりなど、野菜を自然に冷やして置く場所でもあったそうですdelicious

            

shadow住職さん

「まあスイカや野菜を冷やすのは、昔の家では当たり前だっすべ(笑)」

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(シューズショップ・トミザワさん横の大堰が船着き場後らしいcamera

                  

この住職さんによると、シューズショップ・トミザワさん横の写真の場所が、

須川、院内方面からお酒を飲みに来る人の

船着き場だったそうで、この写真の場所周辺を中心に、

自然発生的に飲み屋さんが点在して大いに賑わっていたそうですbottle

                        

また、別の機会に、昔の院内地区のお話を聞く機会があり、

昭和30~40年代には、横堀、院内地区に、多くの飲み屋さんや雑貨屋、

映画館が4~5軒程あり、院内銀山がある院内地区も栄えていたそうですtrain

                           

shadow住職さん

「まあ~おらだば、この場所辺りで、酒飲み親父どこ見だりしたし、

飲み屋(酒飲み)発祥の地と言ってもいがんしべ(良いと思う)!」

Dsc02120 Dsc02112

この当時の少し離れた周辺、あるいは奥羽本線「湯沢駅」の裏側にあたる地域

(清水町周辺)は、大堰の水が流れ、青々とした田んぼが広がっていたそうです。

                     

shadow住職さん

「昔は、ドンツキ!行き止まり!駅裏さ、清水尻(尻は終わりの意味らしい)

って地名もあったがったし、新しい地名さは、南とか、新とかださ~、

昔の中央病院の場所っこも、草っこ生えて、町の中の行き止まりだったしな!

その先の田んぼや畑さも、大せきの水っこが流れていっていたなだ~w」

Dsc02117_2

(気になった方もいる現在の街並み、道路の写真は、湯沢市の交流都市、

ドイツ・ケルン近郊のジークブルク市が縁で、ドイツ風の通りになっていますhouse

通称「湯沢市・ジークブルガー通り」flag

ジークブルガー通りまでのマップ←クリックmotorsports

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次回は、小川屋酒店さんに置いてある日本酒のオリジナル商品に絡めて、

この後、出会った方との懐かしい湯沢のお話が、もう少しだけ続きますpencil

                     

ではでは、とっぴんまだまだ少し昔のぷ~smile                  

                        

「今回も本当に、色々とお話、情報等、ありがとうございました(高印rvcar)」

第1回目「東京の下り菓子」←ブログ「こ・ま・ち」的/クリックから笑い話search

第2回目「むっくり地蔵尊」←ブログ「こ・ま・ち」的/クリックから伝承と民話へsearch

第3回目「戸平小路の由来」←ブログ「こ・ま・ち」的/湯沢市内search

第4回目「佐竹公とご機嫌坂」←ブログ「こ・ま・ち」的/歴史人物像search

 

2014年6月24日 (火)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話 「佐竹公とご機嫌坂」

みなさんこんにちはsun

                  

第1回目「東京の下り菓子」←ブログ「こ・ま・ち」的/クリックsearch

第2回目「むっくり地蔵尊」←ブログ「こ・ま・ち」的/クリックから伝承と民話へsearch

第3回目「戸平小路の由来」←ブログ「こ・ま・ち」的/湯沢市内search

                     

2014年5月29日木曜日「AM11:23」/JR湯沢駅前から

少し昔にタイムスリップした(高印rvcar)は、

クルクルとタイムスリップした先の、その当時の湯沢雄勝地域の様子を、

21世紀の現代に使う言葉を駆使し、当ブログで少しづつ紹介したいと思っていますdoor

                        

今回は、湯沢市、寺沢地区にある記念碑。由緒ある坂のお話。昭和37年当時の

その場所に広がる美しい田園風景が気になる(高印rvcar)の

「ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話」

第4回目のお話は、(高印rvcar)的に、原文と現代の言葉を交ぜ伝えるブログpencil

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「佐竹公とごきげん(機嫌)坂」

                     

秋田の城主、佐竹義宣公が水戸百二十石の城主から二十万五千石の

秋田にお国替えとなったのが、慶長7年の五月。

                               

ごきげん坂までのマップ←クリックmotorsports

                     

道中けわしい坂谷峠を越え、山また山に囲まれた、山形領を通るころより、

殿様は失望のあまり、心まことに楽まず、

雄勝峠を越すに至っては、いよいよ不機嫌がつのり、

お供の方々も、どうなるものかと心を痛めていたという。

ところが、けわしい県境を下り、院内、横堀、小野を経て

関口の村はずれの坂に差しかかるや、

はじめて仙北平野(昔の呼び方?)は眼下に開けて豊かな田園が遠く連なり、

西に秋田富士鳥海の秀峰を望み雄物川の流れを眺め、

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わが領内にもかかる立派な田園があるかと、

満面の喜びを讃え、

ごきげん(機嫌)がなおったというので、

ここを、「ごきげん坂」と名付け、いまは記念の碑を建てて長く伝えている。

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この場所は、昔はかなり高い坂で追いはぎ(強盗)など出没していたものらしい。

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この場所、この記念の碑は、湯沢市寺沢地区、

「小野寺石材」さんの真横の坂、近辺が、ごきげん坂になるようです。

その記念の碑から眺めた景色は、

上の田んぼや野球練習場が広がる写真になります!!

                           

ちょんまげを付けた気分で、眼下を眺める(高印rvcar)ですが、

二十万五千石(一万石/三億円くらい?四公五民?五公五民?)でも嬉しい!

黄金の稲穂が広がる景色ですdelicious(笑)

                           

このごきげん(機嫌)坂にちなんで、

                           

めでたいものは芋の子の種

くき長く 葉広く

孫子栄ゆる じさ(祖父)まご

じさ まご

                        

芋の子の種と称する民謡がこの地方にのこっています。

これは、佐竹公がお国替えの際、

関口の村はずれで、ごきげんがなおったお喜びのため

家来の一人が歌ったものだといわれ、

湯沢地方では、御祝い時の先き歌として長く歌い続けられていたそうですlovely

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とっぴんクルクル少し昔のぷ~smile

                  

是非、佐竹公気分を体感しに訪れてくださいflag

             

(高印rvcar