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2014年9月11日 (木)

ブログ「こ・ま・ち」的:平成版/雄勝の伝承と民話「熊谷三郎兵衛の物語」

みなさんこんにちはsun

          

湯沢城主佐竹南家のぼだい寺「清涼寺」の入り口に触れれば、

ひどい寒気と、震えが起こるという不思議な墓があった。

                        

それは慶安(三百年前)の変、

由井正雪の陰謀に加わり、一方の統領であったという

「熊谷三郎兵衛」

の墓だといわれている。

               

※慶安の変(けいあんのへん)は、慶安4年(1651年)

4月から7月にかけて起こった事件。

別名、由比正雪の乱。由井正雪の乱。慶安事件。

とも呼ばれることがある。

            

主な首謀者は、由井正雪。丸橋忠弥。金井半兵衛。熊谷直義であった。

(由井正雪は優秀な軍学者。知りたい方は、検索をお願いします)

                   

その三郎兵衛がどうして湯沢に来たかはつまびらかではないが、

当時の同志が、切腹したり、捕らえられたりする中を、

危うく逃れ途中の詮議が厳しいので坊主に身をやつし、

流れ流れて湯沢に辿り点いた。

Dsc02036

(写真は、清涼寺、お地蔵さん横の階段camera

辿り点くと、清涼寺の裏手、花見沢の上に庵を構えて、

世を忍んで生活していた。現在もその辺を「上人沢」と呼んでいる。

Dsc02039 Dsc02047

こうしているうちに、佐竹南家の組下で槍の達人!

「斎藤強太夫」

と懇意となり、ある時、何かについて議論の末、強太夫は、

「坊主のくせにと激しく罵った」

                  

ところが、三郎兵衛が、

「同じ坊主でも、お前如きに負ける坊主ではない!」

と、大言を吐いたので、お互いに、

「さらば真剣勝負ということになる!!!」

Img_1888

※効果音 どんどんどんどん メラメラメラ・・・・・ドッシャ~ン!!!

◇真剣勝負は、力の差が歴然で一瞬であった!

八幡神社の境内にかがり火をたいて、

強太夫が槍を持って向かったが・・・・・・・impact

Img_1890 Img_1889

”たちまち槍を打ち落とされ、

かえって軽率な行いを戒められたという。”

Dsc02041

以来、三郎兵衛は、徒者ではないと知られ渡り、

段々と様子を聞くうちに、その本性がわかり、

「藩中の根本」という侍(サムライ)は、

三郎兵衛について、

「長刀(なぎなた)」

「火衛」?どのような技?武術?

「地雷」?どのような技?武術?

などを学んだと言っている・・・・・。

Dsc02042

三郎兵衛は死んだ後、清涼寺に葬られたが、

公儀をはばかって無名とし

その墓を守る手段として、おこりをわずらうと伝えたものらしい。

            

また一説には、湯沢の酒屋に住み込んだことがあるらしく

Dsc02044

ある時、馬上の侍を見て、

「あの侍は馬に乗せられて行く

(乗せられている)」と、あざけ笑ったので、

それではと無理に馬に乗せられた。

Dsc02043

ところが、

”手綱(たづな)さばきも見事な妙術を示して、

びっくりさせたという。”

Dsc02046

また、湯沢のある家で猛犬を飼っていた。

かねがね三郎兵衛の強力振りを聞き、

その通りがけに猛犬を向けてやった!

そして、               

「猛犬は勢い良く飛びかかって行った!!!」

                   

しかし、猛犬

三郎兵衛に近づくとともに、

コロリと倒れて死んでしまった。

Imgp0203_2

(熊谷三郎兵衛さん、可愛い犬には止めてね・・・・・w)

見向きもしないで、五、六間行き過ぎてから

三郎兵衛は何かを投げ捨てて行ったので、

         

「近寄って見ると、それは猛犬の舌であった・・・」

               

突差に猛犬の舌を抜いて殺した早技は、

目にもとまらなかった!!!

                

という話が残っている・・・・・・・・・・(終)

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

とっぴんまだまだ少し昔のぷ~smile

     

そして、この話は続きがあり、

実際に、清涼寺にいる笑顔の素敵な大先輩に

お話を聞きに行きました。

このお話は、清涼寺に伝わる有名なお話で、

「熊谷三郎兵衛は隠密であったそうです」

             

上の写真は、三郎兵衛の墓石を四面から撮影しましたが、

良く見るとお墓に名前が無く、

三郎兵衛の名前などを彫ると、

遠くに住む身内など多方面に迷惑がかかる為、

「無名の墓石となっています(涙)」

まるで、アメリカの諜報機関にある名前の無い墓石のようです。

               

その他、一部、湯沢雄勝地域では、

三郎兵衛は忍者だったと振れ伝わっているらしいのですが、

お話をお聞きしたところ?

「忍者では無く、隠密です!!!」

という力強いお言葉と確認を、

笑顔の素敵な大先輩から丁寧に頂きましたsearch

Dsc02041

その他「雄勝の伝説と民話」の本の中に、

もう一つ残る

「清涼寺の夫婦げんか」というお話があるのですが、

そのようなお話は、

清涼寺には伝承されていないそうです。

               

今回は(高印rvcar)も、名前の無い墓石に静かに手を合わせました・・・・・。

「名前の無い墓石からは欲のない強い力を感じることができました!」

             

では、もう一回!とっぴんまだまだ少し昔のぷ~smile

            

(高印rvcar

          

      

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